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つよいとかよわいとか。

今月から近所のボクシングジムにダイエットコースで入会したわけだけど、運動をするからだろう、物凄く腹が減る。なので、食う。家にあるものを片っ端から食べてしまう。すると当然だけど、太る。ダイエットコースに入会したのに、半月で2キロ太る。このままの感じが続くと、バタービーン。いかんなと思い食欲を抑えようと思うのだけど、空腹抑えがたく、せんべいやらチョコレートやらをちょいちょいつまみ食い。このままじゃ、ジムにも迷惑かかる。通ってるオッサンがどんどんブタになっていくとか、ダイエットコースの沽券に関わる。

 

パンチはまだまだ全力で打てない。下半身が全然粘らないし、手首は痛いし、変なところが当たるから拳も痛い。イメージに筋力が付いてこない。そら当然だ、このプリン体だもの。

 

しかし、強いパンチが打てたところで、それは対人間ということで、自然には勝てない。地面が大きく揺れるなんてことを、地面に思い切りパンチを打ち込んで止める。なんてことは当然できないし、大きい台風にカウンターを打ち込むごとくパンチを打ち込んだところで、台風が止むはずもなく、阿呆が台風の日に外でシャドーってだけのことだ。さらにいうなら、対人間ということでも自然が生み出した巨人、チェホンマンとかヒョードルとかクリチコとかあの辺の規格外に渾身のパンチを打ち込んだところで、蚊に刺された程度のダメージも与えられないだろう。虚しいな。別に今更強い弱いを基準に身体を動かしたりはしないけど、ボクシングジムという場所の性質上、ああいう場所にいると、そのことを少しは考えるわけで、脆弱な自分に忸怩たる思いは多少あったりなかったり。

 

自然の機嫌ひとつで人間なんて右往左往。この場所を間借りしていることを忘れて、傍若無人な振る舞いを続けていられるのも、地球がいい大家さんだから。そのうち怒って追い出されるかもしれない。でも文句言えない。所詮人間。

 

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GODZILLA」  2014年 アメリカ 監督 ギャレス・エドワーズ

 

これは何だろう?人間の物語部分が凄く上滑りしているというかリアリティを激しく欠いている気がした。怪獣に対する人間の猿知恵に苦笑。

 

フォーカスされた家族は無事を喜んで抱き合ってるけど、周りの惨状を考えると、全然ハッピーな気分になれない。とんでもない数の人間が死んでると思うんだけど。

 

渡辺謙は、英語があんまりなんだろうか、セリフが全部短い。寡黙な学者。言わなくちゃいけないことも言わない感じにヤキモキ。

 

効能

ゴジラが粋。自然には勝てない。不言実行。

 

不一。

 

 

なんだかね。

昨日はひと月に二三度ある、15時から22時までの勤務だった。会社で二勤と呼ばれる勤務時間。

 

何度経験しても、この時間の勤務は好きになれない。朝から何処かに出かけても、昼頃にはそわそわするし、仕事終わりで遊びに行こうにも、22時からなんて誰も遊んでくれないし、行くところも限られてくる。勤務時間こそ普段の12時間に比べれば半分程度なのだけど、一日が潰れるということでいえば同じだ。

 

出勤途中、携帯が不穏な音をたてる。あまり耳慣れないビープ音に気を取られたものの、運転中だし、カバンのどこに携帯が入っているかも分からないから、面倒に感じて放置していた。会社に着いて携帯を見ると、どうも地震があったらしい。このあたりは震度3だったらしい。

 

家では睡眠障害だろうか、ってくらい眠れないのに、会社に着くと眠くなる。なんだこれ。アクビが止まらない。ブラックブラックなる眠気に効くらしいガムを噛む。するとミントが強すぎるのか、今度はクシャミが止まらない。

 

マンネリを感じて久しい仕事を、いつもどおり何となく消化し、時間は22時、家に帰りつく時間は真っ直ぐ帰れば22時半。日頃21時過ぎには就寝する母親に、こんな時間から食事の用意をさせるのは酷。なので、この勤務時間の日は、帰りになにか買って帰る。大体、吉野家マクド

 

今日は何だか吉野家の気分だなと思い、吉野家の前を通ると、どエライ人だかり。嘘だろ。こんな時間に何故吉野家激混みなんだろう。かなり待たなくてはいけない雰囲気。待ってまで食べたくない。スルーしてコンビニ。

 

帰って、映画を観つつ食事。

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「アレクサンダーの、ヒドクて、ヒサンで、サイテー、サイアクな日」

2014年 アメリカ  監督 ミゲル・アルテタ

 

酷くて悲惨で最低最悪でも、家族の結束が深まる、好きな子といい感じになる、オヤジ就職決まる、など結果超オーライな結末は、総合すれば、とてもいい一日。

 

なんの起伏もなく、手もなく一日が終わる僕の二勤に比べれば、最高の一日に思える。

 

効能

前向き。ポジティブ。家族愛。人間万事塞翁が馬

 

不一。

 

 

いまのうちかな。

読んでくれているのが、今のところ極々少数の信頼できる人たちだけだから、と、甘えるわけではないけれど、今のうちに自分の嫌らしい部分、好き嫌いを書いておこうかな。好き嫌いの話なんて、殆どの場合人を不快にさせるのだろうけど、できる限り正直がこのブログのモットーだ。って今決めた。

 

僕には人間関係において心がけていることがひとつあって、それは絶対にほんの少しでもいいから、誰に対しても、損をする。ということ。

 

車を出すのは勿論、食事は奢るもしくは多めに支払う、時間にも遅れない、相手に行きたいところがあれば自分に意見があっても尊重する。などなど。

 

これは、僕の嫌らしい部分で、こうして損しておくと、それが最後の対面であっても後悔が少ない。仮に相手がクソみたいな人間だとして、最後に何か世話になる、ご馳走になるなんどのことがあれば、何となくいつまでも気になってしまう。大嫌いなクソ野郎のことなのにいつまでも忘れられない。借りを作ったような気がして。それはでも相手も同じかもしれず、こちらばかりが後悔のない土台を作って悦に入っていても、相手はその状況を歯痒く思っているかもしれない。自己満足だよな所詮、嫌らしい計算だ。人間関係ってそういうこっちゃないだろう?なんていつも思うのだけど、直らない。

 

欲望は誰にでもあるものだけど、それに真っ正直で疑いない人間が僕は嫌いで、僕の知った人に、ちょっとでも自分に得がありそうな話題には、信じられないくらいの割り込みで話に入り込んできて、それがどうも自分には得がなさそうだと判断したら、能面のような表情で、興味を失うみたいな人がいて、ガメツイなみっともないな、と思って見ていると、どこからか「じゃあ今度飯奢るわ・・」なんて声が聞こえてくる。すると瞬時にそちらに向かい喜色満面「えっ、なになに?飯?俺も奢ってや!」と駆けていく。ある意味凄い。ここまで自分の欲望を疑わないということは僕には絶対できないことだ。たかが飯でどれだけ見くびられるか。損得の方向性が全く違うのだろう。そのやり方で、小さな得はたくさんできるのかもしれないけど、大きな徳を失うと思う。実際その人の周りには人がいない。いるように見えるのは、自分から寄っていってるからだ。まぁそれとて、徳などというものも持っていても今の世の中ロクなことはなさそうだけど。

 

などと周りを観察しながら、何も考えてませんし、何も思いません。なんて顔をしている自分は、さらにいぎたなくみっともない。本当に何も考えず思わずいられたらいいのだけど、ダメだ。どうしても目に障る。なんだろうこの嫌らしさ。我ながら不快。

 

しかしながら、平穏に至るにはここはクリアしないといけない。

 

小さな世界の小さな出来事にいちいち心をざわめかせていたら、平穏なんていつまでも訪れない。しかし、小さな心は、小さな世界のいちいちにいちいち反応する。

 

大きい小さいを語るのはきっと小さいこと。信じる信じないを語ることはきっと信じていないということ。赤を見て、あれは青だろう・・と語ることはきっと馬鹿のすること。

 

語るに饒舌、裏に不安。

 

不一。

けっきょくね。

結局ね、やってることは変わらないから、以前にやっていたものと同じような流れになるんだろうと思うんだ。このブログ。

 

ブラック企業で一日の大半、月のほとんど仕事して、少しの自由時間に映画観て、本読んで、ちょこっと運動なんかしたりして。

 

そんなことしかしてないのだから、そんなことのうちから何が生まれるのか知らんが、そんなことの内容を書くしか書く事がないけど、それをそんなことって言っちゃったら何だか哀しいから、何とかそんなことに意味を付与したいなと思うのだけど、意味が付いたら付いたでもっとつまらなくなってしまう可能性もあるわけで、つまるところどこまでもカオス。

 

以前のブログでお付き合いのあった方が言っていたのだけど、映画なんてものは所詮作り物。これ、そうだよな。そう思うのだけど、それが何を意図して作られた作り物かということは結構重要だと思っていて、何か強烈に伝えたいことがなければ、あんな面倒なもの作らないと思う。人が日常付く、何かを隠したい、相手を陥れたいみたいな我利我利の嘘とはアプローチが違って、何かを提示したい、現実だけでは説明できない概念を表現したい。明確なテーマを伝えたい。そんな「嘘も方便」的な作り物。みたいな側面を映画や小説には感じていたりする。無論、それらに携わる人たちも慈善事業でやっているわけではないから、商業的な側面も大きくある。しかし、それが強すぎると、人が日常付く嘘と距離が近い感じになって、何だか意味が曖昧、テーマがぼやけてる、何が言いたいのかしたいのか分からない、見え見え、薄汚い、あざとい、みたいなものになることも多々あるように思う。けど、それはそれで、何だか人間の業みたいなものが作品の外側から伝わってきて、作品そのものよりも何だか大きなテーマを感じたりする。作り物でしか伝えられない真実もまたある。というか、僕はアホだから、いろいろな例を引いて、もうこれ離乳食かな?くらい噛み砕いてくれたものでないと、理解できない。もう大人なんだから、しっかりと自分で咀嚼できないと。そうは思うのだけど。

 

10月の頭から、近所のボクシングジムにダイエットコースで入会して、今日4回目の練習に行ってきた。「神の左」に憧れて、オーソドックスの僕は「オレの右」を完成させるのが当面の目標だ。嘘だ。アホだ。右を軽くサンドバッグに打ち込んだだけで、手首に激痛が走り、ケツが肉離れか!?ってくらい痛んでもんどりうったオッサンが何を言ってる。でも、22年ぶりのボクシングは楽しくて、いやそもそも運動自体も22年ぶりであるから、その錆付き具合といったらもう筆舌に尽くし難いのだけど、身体を動かすのは楽しい。楽しかったんだね。公園を走る人とか、水泳やたらする人とか、金ももらえんのに、何が楽しいてあんなこと。とか思っていたのだけど、楽しかったんだね。いつまで続くか分からないが、今のところ楽しい。でも身体痛い。全身痛い。情けない。

 

不一。

 

 

 

 

 

 

 

ふわくの。

 もう先々月のことだけど、40歳になった。

 

去年離婚した。が、相手が詐欺師だったので、自分の中ではあの結婚はノーカウントで、次もしすることがあればそれが最初の結婚だと思っている。が、世間的にはバツイチだ。

 

離婚直後はいろいろとそれはもう凄まじく大変だったけど、ようやく今は落ち着いてきて、気分が酷く落ち込むなどということもなくなってきた。

 

しかし、落ち着いてくると今度は、今自分は何のために毎日働いて、生きていこうとしているのか分からなくなる。詐欺師とはいえ、それに気づくまでは知らぬが仏で普通に良い夫であろうと鵜飼の鵜の如く給料を持ち帰っていた。騙されいることに気づいていなかったから、それが相手のためにも自分のためにもなると考えていて、それがつまらぬ上に苦しい仕事に対するささやかなモチベーションになっていたりもしたのだ。

 

さていざ、詐欺師を退治して、一人になってみると、こんなにも働く必要があるだろうか。と考えてしまったりする。この歳になって今更転職、あるいは自分一人生きていけたらいいのだからとバイトに転ずるなんてことも、ちょっと現実味がない。

 

ああ生きるってめんどくせぇな。上手くいかねぇな。この世は三界無安、過去現在未来どこにも安心などない。と昔の偉い人が喝破しておられるけど、そうは言っても心穏やかに暮らしたい。

 

といった穏やかに至る道を、と言ってもこれはあくまで自分の志向する方向性の話で、やり方生き方は大いに間違っている可能性を孕んでいるけど、その道のりをその時々に感じたこと考えたことを書いていこう。そう思った。ことを今書いている。

 

以前に違うところでブログを約5年に亘りやっていた。自業自得なのだけど、知らぬ間に型にハマって身動きが取りにくくなって、僕の体内には毒袋がついているらしく、そこから恒常的に流れ出す毒を吐き出す必要があるのに、知り合いなんかが見てるよなんて言ってくるから、そのへんのことにもバカなりに配慮したりして書きたいことを書けなくなっちゃったりして、何だかツマラナイなと思ってしまったりして、引越しを決意。

 

内に内に。外に広がる世界、それに匹敵、あるいはそれを遥かに凌駕する途轍もなく広い世界が、自分の内側にある。気がする。だもんで、内に内に。

 

不一。