けっきょくね。

結局ね、やってることは変わらないから、以前にやっていたものと同じような流れになるんだろうと思うんだ。このブログ。

 

ブラック企業で一日の大半、月のほとんど仕事して、少しの自由時間に映画観て、本読んで、ちょこっと運動なんかしたりして。

 

そんなことしかしてないのだから、そんなことのうちから何が生まれるのか知らんが、そんなことの内容を書くしか書く事がないけど、それをそんなことって言っちゃったら何だか哀しいから、何とかそんなことに意味を付与したいなと思うのだけど、意味が付いたら付いたでもっとつまらなくなってしまう可能性もあるわけで、つまるところどこまでもカオス。

 

以前のブログでお付き合いのあった方が言っていたのだけど、映画なんてものは所詮作り物。これ、そうだよな。そう思うのだけど、それが何を意図して作られた作り物かということは結構重要だと思っていて、何か強烈に伝えたいことがなければ、あんな面倒なもの作らないと思う。人が日常付く、何かを隠したい、相手を陥れたいみたいな我利我利の嘘とはアプローチが違って、何かを提示したい、現実だけでは説明できない概念を表現したい。明確なテーマを伝えたい。そんな「嘘も方便」的な作り物。みたいな側面を映画や小説には感じていたりする。無論、それらに携わる人たちも慈善事業でやっているわけではないから、商業的な側面も大きくある。しかし、それが強すぎると、人が日常付く嘘と距離が近い感じになって、何だか意味が曖昧、テーマがぼやけてる、何が言いたいのかしたいのか分からない、見え見え、薄汚い、あざとい、みたいなものになることも多々あるように思う。けど、それはそれで、何だか人間の業みたいなものが作品の外側から伝わってきて、作品そのものよりも何だか大きなテーマを感じたりする。作り物でしか伝えられない真実もまたある。というか、僕はアホだから、いろいろな例を引いて、もうこれ離乳食かな?くらい噛み砕いてくれたものでないと、理解できない。もう大人なんだから、しっかりと自分で咀嚼できないと。そうは思うのだけど。

 

10月の頭から、近所のボクシングジムにダイエットコースで入会して、今日4回目の練習に行ってきた。「神の左」に憧れて、オーソドックスの僕は「オレの右」を完成させるのが当面の目標だ。嘘だ。アホだ。右を軽くサンドバッグに打ち込んだだけで、手首に激痛が走り、ケツが肉離れか!?ってくらい痛んでもんどりうったオッサンが何を言ってる。でも、22年ぶりのボクシングは楽しくて、いやそもそも運動自体も22年ぶりであるから、その錆付き具合といったらもう筆舌に尽くし難いのだけど、身体を動かすのは楽しい。楽しかったんだね。公園を走る人とか、水泳やたらする人とか、金ももらえんのに、何が楽しいてあんなこと。とか思っていたのだけど、楽しかったんだね。いつまで続くか分からないが、今のところ楽しい。でも身体痛い。全身痛い。情けない。

 

不一。