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いまのうちかな。

読んでくれているのが、今のところ極々少数の信頼できる人たちだけだから、と、甘えるわけではないけれど、今のうちに自分の嫌らしい部分、好き嫌いを書いておこうかな。好き嫌いの話なんて、殆どの場合人を不快にさせるのだろうけど、できる限り正直がこのブログのモットーだ。って今決めた。

 

僕には人間関係において心がけていることがひとつあって、それは絶対にほんの少しでもいいから、誰に対しても、損をする。ということ。

 

車を出すのは勿論、食事は奢るもしくは多めに支払う、時間にも遅れない、相手に行きたいところがあれば自分に意見があっても尊重する。などなど。

 

これは、僕の嫌らしい部分で、こうして損しておくと、それが最後の対面であっても後悔が少ない。仮に相手がクソみたいな人間だとして、最後に何か世話になる、ご馳走になるなんどのことがあれば、何となくいつまでも気になってしまう。大嫌いなクソ野郎のことなのにいつまでも忘れられない。借りを作ったような気がして。それはでも相手も同じかもしれず、こちらばかりが後悔のない土台を作って悦に入っていても、相手はその状況を歯痒く思っているかもしれない。自己満足だよな所詮、嫌らしい計算だ。人間関係ってそういうこっちゃないだろう?なんていつも思うのだけど、直らない。

 

欲望は誰にでもあるものだけど、それに真っ正直で疑いない人間が僕は嫌いで、僕の知った人に、ちょっとでも自分に得がありそうな話題には、信じられないくらいの割り込みで話に入り込んできて、それがどうも自分には得がなさそうだと判断したら、能面のような表情で、興味を失うみたいな人がいて、ガメツイなみっともないな、と思って見ていると、どこからか「じゃあ今度飯奢るわ・・」なんて声が聞こえてくる。すると瞬時にそちらに向かい喜色満面「えっ、なになに?飯?俺も奢ってや!」と駆けていく。ある意味凄い。ここまで自分の欲望を疑わないということは僕には絶対できないことだ。たかが飯でどれだけ見くびられるか。損得の方向性が全く違うのだろう。そのやり方で、小さな得はたくさんできるのかもしれないけど、大きな徳を失うと思う。実際その人の周りには人がいない。いるように見えるのは、自分から寄っていってるからだ。まぁそれとて、徳などというものも持っていても今の世の中ロクなことはなさそうだけど。

 

などと周りを観察しながら、何も考えてませんし、何も思いません。なんて顔をしている自分は、さらにいぎたなくみっともない。本当に何も考えず思わずいられたらいいのだけど、ダメだ。どうしても目に障る。なんだろうこの嫌らしさ。我ながら不快。

 

しかしながら、平穏に至るにはここはクリアしないといけない。

 

小さな世界の小さな出来事にいちいち心をざわめかせていたら、平穏なんていつまでも訪れない。しかし、小さな心は、小さな世界のいちいちにいちいち反応する。

 

大きい小さいを語るのはきっと小さいこと。信じる信じないを語ることはきっと信じていないということ。赤を見て、あれは青だろう・・と語ることはきっと馬鹿のすること。

 

語るに饒舌、裏に不安。

 

不一。