どりょく・・か。

ものすご頑張る人のことを「努力の天才」とか言ったりするけど、頑張るにはやはりその頑張る対象に対しての才能がある程度ないと、努力は遮断されると思う。

努力できるということは、そのことに対して才能があるということで、才能がなければ努力すらさせてもらえない。厳しいけどそんな気がする。

会社なんかで物凄く頑張っているのに、全く結果がついてこない。あいつダメだな、左遷だ、部署異動だ、なんてことになると、そこでその人の頑張りは遮断される。

野球で打てない、抑えられない、守れない、ボクシングで何度も続けてKO負けする、など、凄く好きで頑張っているのに結果がついてこないと努力はやはり遮断される。

ある人が大好きで振り向かせようと頑張っても、相手がそもそもあなたの顔が好みじゃない、ケタ外れのお金持ちが好き、身長がいくら以上とか、年齢がいくつまでとか努力でどうしようもない条件を提示されると、これまた努力は許されない。それがなんじゃいと、別に頑張ってもいいけど、ストーカーなんてものに分類される危険がある。

自分で今やっていることを鑑みて、努力の余地があるものは、そこに才能があると考えていいと思う。どこかで壁に突き当たり、努力が許されない状況に追い込まれるかもしれないけど、今のところ、そのことに対して何かまだ頑張れるなら、そのことに才がある。そう思う。

斯様に努力と才能は不可分。才能が努力を促し、努力が才能を開花させる。

人によりそれは勿論大小はあるだろうけど、それこそ世界に一つだけの花。嗚呼また安いJ-POPを引用した。誰に対して分かりやすさを提供しようというのか。人目のあるところで人目を気にしない。そんな文章が書きたいのに。

兎に角、咲いた花はいずれも美しいものだと思う。本物の花に特に好きなものはなく、花を見て綺麗だと思ったことはあまりないのだけど。

 

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ルパン三世」  2014年 日本 監督 北村龍平

やばい感じはしていたので、今まで観なかった。

あらゆる職業の中でも最高峰に難しいと思っている映画監督。

だから映画というものを全てリスペクトしているし、しようと思っている。

だから、つまらなかった。なんてことは言いたくないし、言わない。

が、こう言うともうつまらなかったと言ってるようなもの。だよね。

しかし、つまらなかったというのは、他の映画と相対的に比べてみてのことで、観て損したとかそういう話ではない。本当に何も得られない映画なんてものは存在しない。

アニメが充分に面白いのに実写化する意味があったのか。それは疑問。小栗旬のアニメルパンに寄せていってる感がちょっと痛々しい。ならアニメ観るよ、って言っちゃいそうになる。批判にさらされても、そこは役者魂、彼なりのルパンを見たかった。

この作品でも、銭形警部はルパンに翻弄される。いつまでもルパン逮捕という結果を残せないのに、ずっとあの地位にいるということは、ルパン逮捕の可能性を上層部が感じているということで、失敗続きでも、ルパン逮捕の才能が彼にはあると思われてるのだろう。だから努力を許される。

効能 

ルパンの度量。銭形の頑張り。不二子怖い。

 

今自分に許される努力ってなんだろう。

そんなことを。

不一。