まんなか。

日々は定形の姿をもって多忙。

日常が忙しい。大した起伏もなく幸でもなく不幸でもなく、というか、幸とか不幸ってのはかなり後々分かることが多くて、今の状態はきっととても幸福なんだろうけど、それは常に不幸を内包しているものなのだろうし、手放しで幸せを喜ぶには自分は少し歳を取りすぎたのかもしれない。

良かれと思ってしたことが裏目に出てかなり参ったり、意想外の出会いに恵まれて少し浮かれたり、こういうのを起伏というなら起伏もあると言っていいのかもしれない。

何もないようで、いろいろあるもんだ。

終わったようでいて、意識あるうちはどうにも続いてしまうもんだ。

所々抜け落ちた記憶は、意識が拒否したのか、単に頭が悪いだけなのか。

でも忘れるからこそ、生きていける。賢すぎる人間は大抵自殺する。

阿呆で良かった。これまでの来し方を振り返るに、全て記憶していたら、到底生きていけまい。

日常が忙しい。これは取りも直さず、社会に出ている自分が忙しいということで、社会にいるあいだは、自分の世界は留守で、世界がなおざり。

もう少し、こちらにも配慮するべきだ。というか、そこを豊かなものにするために生きているのが人間だろう。

多忙を言い訳になおざりにした世界。知らぬ間に割りと荒廃。

そろそろ落ち着いてちゃんと片付けよう。

怠けたな。忙しさを言い訳に。

言ってること変かな。

自分的には超正論なんだけど。

必ずどちらかに嵌るやじろべえ。上手く真ん中を歩けない。

不一。