ごりすね。
子どもの頃に夏休みなんてのが来ると、ひゃっほう、一ヶ月休みだ、ほぼ無限にやすみじゃん、宿題?余裕っしょ、そんなの最後の一週間でやればいいじゃん。なんて放置して、いつも間に合わず、なんだったら、どこに放置したのかも忘れて紛失、宿題丸ごとやらなかったなんてことが思い出だったりする。
サッカーなんかでも45分?40分?詳しくは知らないけど、それを前後半に分けて競う。
野球だと9回までの表裏。ボクシングだとタイトルマッチは3分12ラウンド。
どんな仕事にも大抵、納期締切など期限がある。
だから、頑張るのだと思う。制限の中で結果を求められるから、その間頑張る。
大きく人生もそうで、「死ぬまで」という期限の中で、やりたいことがあるならやっておかないといけないし、やりたくないことからは逃げ続ければいい。
これが何でも無制限なら、誰も頑張らないと思う。
100対0で負けてても、そのうち逆転すればいいんじゃない?時間はいくらでもあるわけだし。ってか終わりないし。みたいな。
仕事を依頼されても、まぁ別に今やらなくても、そのうちでいいんじゃない?相手方も、そうですね、別に急ぎませんから、思い出したときにでもやってくれれば。
とかだったら、誰も頑張らない。
制限というのは、課されると凄く厭な気分になるもので、その厭な気分には責任感、自分の評価を貶めたくないという欲、相手に対する気遣い、結果に対する恐怖、いろんなものが含まれていると思うのだけど、しかし、これあるがことによって世の中は成り立っているとも言える。
だから、人間死ねてラッキー。・・・ん?いつものことだけど、何げに不謹慎。かつ意味不明瞭。
「デッドプール」 2016年 アメリカ 監督 ティム・ミラー
主人公は、人体改造で妙なものを身体に注入されて望まず不死身の身体を手に入れる。
死なないという設定上、ノリが軽い。物凄い手傷を負っても、死なないのだから、深刻にならない。
しかし死ねないというのも難儀なものだ。
死なない割にこの主人公は何かと頑張っていて偉い。
僕は平均で物を語るのは好きでないけど、今の年齢を平均で考えれば、もう人生の折り返し地点を過ぎて割りと死ぬということを意識してもいいはずの年。なのにアホみたいに今日も明日が普通に与えられていると考えているフシあるよね。それに希望を持ったり、重荷に感じたりする時もあったり。
スポーツや仕事なら目標は明確だけど、人生なんて漠然とデカいのか小さいのかすら分からないものの中に目的目標を見つけるのは難しい。僕だけかもしらんけど。
だから、大きな目標が見つかるまで、小さな目標をコツコツと・・ってタイプでもないし。何だか今日も五里霧中。
不一。