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何かと難問だ

つまるところ自己満足なんだろうと思う。人生なんて。

しかし、満足が如何に難事であるかは、生きれば生きるほど痛感する。

自分が見て綺麗な物は大抵の人にも綺麗なのだろうし、自分が気持ちいいことは大抵の人にも気持ちのいいことなのだろうから、綺麗な物を欲すれば、当然のことながら競争になる。気持ちのいいことも皆が殺到するから、順番待ちになったりする。

だから、少しランクを落とした綺麗な物や、気持ちいいこと、楽しいこと、美味しい物なんかで妥協する。そこで満足まではいかずとも納得できれば、それは上々の結果なのかもしれない。

納得。何かを得て、それを納める。そうするには収納スペースが必要で、そのスペースをうまく作れないと、何かと納得できない、何かに付け文句を垂れる、キレる、すねる、みたいないい年してみっともない大人に成り下がる。

しかし、何でもかんでも納得してしまえるという、信念の感じられぬ生き様もまた自己満足からは程遠いようにも思う。それは単なる諦観に支配された人生観で、すねるに近い感じもする。

今の自分はそこに近いところにいる気がする。

まぁそれでいいんじゃない。だってしょうがないんでしょ?よくあることだよ。

一見物分りの良さそうな感じはするけど、心から賛成している、または喜んでいる感じは皆無。なんだか、すねている感じにしか思えない。快さがない。心からの肯定がない。

納得を装いつつ、全然納得いってないのだ。それはよく分かっている。

だって、僕には良いことにしろ悪いことにしろ、得たものを納めるスペースがないのだから。

満足。とまではいかなくとも、納得。できる一日を、ひと月を一年をひいては人生を。なんてね。やることやってから言えや。って話だけどね。

 

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「神のゆらぎ」  2013年 カナダ 監督 ダニエル・グルー

神の教えにどこまでも従い命を落とす男。

神を捨てて生きることを選んだ女。

どちらが正しいなんてことは誰にも言えなくて、要は当事者の自己満足の度合いなんだろうな。

それで納得いくなら、それでいいんだろうな。

としか言いようがない。と、ここでも得意の諦めで、答えを取り敢えず考えられるところまで考えるということもしない。

ゆらぎゆらぐ。

効能。

信じるものは救われる、とは限らない。が、信じて救われなかったものが、不満を持つとも限らない。納得しているかも知れない。ならそれは救いであったのかも、いやでも、結果死んでるんだから、救えてないよね、っていうのもそれは命あっての物種なんて俗な目線からの愚考で、神様なんてものからの巨視的な目線で見ればめちゃんこ救いの可能性もあるよね、天国なんてものがあると仮定するならば。天国へのパスポートなんてものがブルーハーツの歌詞に出てきたよな、懐かしいなぁ、・・ん?・・・と最初に何を考えていたか分からなくなるくらい、漠然と、しかし厳然と立ちはだかる難問。

不一。