やれんのか。

最近立て続けに、男、いや漢が主役の本を読んだ。

自分のぬるさに打ちのめされる思い。仕事が辛い、金が無い、時間が無い、やりたいことが無い、やる気も無い、無いものばかりを数え上げて、東から昇ったお日さんが西に沈む。そして、今日も東から陽光が射すと同時に無いものを数え始める。

無いものは無いのだ。イチローとまーくんとマエケンと山田筒香柳田がいれば、優勝できるはず。そらそうだ。そこまで揃っていれば、監督は要らない。

金があれば時間があればやる気があれば夢があれば希望があれば体力があれば身長があれば近所にコンビニがあれば駅があればあれがあればこれがあれば・・・。

そんなことを数え上げても何にもならない。全て揃ってしまえば、今度は逆に自分が要らない。誰でも上手くやれるし、生きていける。しかし無いからこそそこに努力の入り込む隙間が生まれる。個性を注ぐ隙間が生まれる。

そこにこそ「個」は生まれる。どんな方法で、どれだけの努力を積み重ねて、あるいは努力を放擲して傍観。そして仮に結果が良かろうが悪かろうが、そこに生まれた事実はその個を後ろから支える。存在を証明する。それが受け入れ難い個であるなら、その人が抱く理想の存在は、新たな努力を促す。

そこでまた無いものを数えるのも自由だし、手元にあるもの周りの状況でできることを考えそれらを最大限に生かして理想を目指すのも自由。

結果は個を連れてくる。個人としての自分。到底受け入れ難い。努力が足りない。

これもまた、無いものを数える内に入るのか。

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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 増田俊也著。

木村政彦という人を僕は知らなかったのだけど、日本柔道史上、未だに最強であったと語り草の豪傑らしい。

兎に角その柔道に打ち込む姿勢が凄まじい。努力の量が途轍もない。

そんな彼のモットーが「三倍努力」

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「命もいらず 名もいらず」  山本兼一著。

続いて読んだのが、幕末三舟の一人、山岡鉄舟が主人公のこの本。

剣豪としての他、書家としても有名であるらしいが、彼がその道を究める過程で行き着いた努力の方法は、

「百倍やる」

無茶苦茶や。木村政彦の三倍努力でも既に常人には不可能であるのに、鉄舟は百倍。ぶっ壊れメンタル。前向きの権化。超前向き。

木村政彦山岡鉄舟いずれ劣らぬ豪傑の物語に、日頃の自分のだらし無さのみ思い当たり、情けなさが募って悶える。

だからといって、無いものを数えても、そうしているうちにまた日が西に沈むのみ。

始めよう。1.5倍くらいから。

それだって相当に難行であることが予想されるけど、明日にはやる気を無くして元の木阿弥かもしれないけど、今その気なら、一日だけでもやれるなら、やらないよりはいいだろう。どうだろう。

不一。