でもどるのか・・すね。
先日、日本が誇る稀代のサウスポー長谷川穂積のドキュメンタリー番組を観ていて、感じ入った言葉があった。
きちんとした言い回しなどは定かじゃないのだけど、「僕は誰のアドバイスでもたとえ格下であったり、ボクシングと関係のない人からの提言であっても、とりあえず試してみて、良い悪いを判断していた。普通ボクシングの世界王者になるような人は、我が強く他人の言うことなど聞かない人の方が多いと思うが、自分はそれとは逆だった。」
みたいなこと。
人の言うことなど聞かないで、己が道を行くのがかっくいい。人生一度きりなのだから好きに行けばいい。などと要は面倒を避けてやりたいことだけやる、としか言ってないような阿呆な生き方が粋。と思っていた。割りと真剣に。僕はその考えを遂行できないで、中途半端に人の言うことを聞き、それに対して、へどもど戸惑い、何となく違和感を感じてもそれを突っぱねる論拠もなく、さりとて行動に移す馬力もなく、結局は動けないなどいうことがほとんどで、我が道を行く人を羨望の目で眺めたりしつつ気づけばまごう事なきダメおやじ。
なんだかな。と思いつつ何となく頭の片隅に長谷川の言葉がひっかかり生きていた。
これは勝てば歴史。歴史を目撃するべく、愛知の友と誘い誘われ観戦に出かけた。
結果は周知のとおり、物議を醸す判定で村田の世界王座獲得はならなかった。
そのとき、同じく観戦に来ていた北海道の友と、その友人である東京の方と残念会的な食事に行った。
そのとき、このお二人から、以前やっていたブログの再開を勧められた。
僕は以前珍妙な名前でブログを何となく始めて、何となくやめたことがある。
思えば、今こうして一緒に楽しい時間を過ごしている愛知の友も、北海道の友も、そのブログで繋がった縁なのだよな。
そう思えば、そこのラインからの再開のすすめは、聞くべきではないだろうか。
続けられる続けられないはともかく、良い悪いもともかく、やるべきではないだろうか。
そう思って、恥を承知で出戻る覚悟を決めた。
・・・まぁよそでやってみたブログの勝手が分からず、画像一枚貼り付けるのにも四苦八苦、文字の大きさ一つ変えるのにもなんだこりゃみたいな状態で放置。みたいな事情もあったにはあったのだけど。
・・・言い訳がましい。しかも長い。永い。
配偶者をバス事故で亡くした二人の男。
それぞれの想い。
ちょっとネタバレするけれども、
ラストの
「人生は他者」
その想いに行き着くまでの物語。
何だか分かったような分からなかったような。
それでいてキチンと腑に落ちる感覚はあって。
人生は他者。
他者の導きで今これを書いている。
他者に感謝、多謝。
不一。