さんびょうし。

何をやっても上手くいく、やることなすこと当たる。理由を考えても運としか言いようがない。特に人並み以上に頑張ったわけでもなく、真新しい試みに挑んだ訳でもない。ただ何となく流されるように生きていたらば、知らぬ間に成功をおさめた。

こんな人も世の中にはいる。

一方、その逆もいる。何をやっても裏目に出る。くそう、何だよ、人一倍頑張っているのに、才能も申し分ないのに、目の付け所も悪くないはずなのに、また裏だよ。じゃあ今度は裏の裏は表だろうと、裏に張ると、やはりまた裏。みたいな人もこの世にはいるのだろう。

容姿端麗、頭脳明晰、生まれた家は大金持ちで、およそこの世で手に入らぬ物はない。というより、ここまで恵まれると、逆に欲なんてなくなるよね。なんて人も世の中にはいるのだろう。

またこれにもきっと逆がいる。不細工でアホ、生まれた家は赤貧洗うがごとき状況で、たまにはお腹いっぱいご飯が食べたい。いつの頃からか自販機のお釣りのところに手を入れるのが癖になりました。みたいな人も世の中にはいるのだろう。

こんなことを考えていると、どこまでも残酷に運の要素で、人生なんて決まってしまうんじゃないか、と思ってしまうけれども、ある程度そんなものに抗う力が人間にはあるから、何もかもを運の一言で片付けてしまえない部分も大いにある。

でも、考えれば考えるほど、やっぱり人生なんて全て運じゃないか。とも思うのだけど、それを言っちゃあ・・って素直に了承しかねる自分もいる。

しかし、何事も頑張るに如くはない。

努力に運がついてくるとは限らないが、人は努力する人間としない人間なら、一部例外を除いて努力する人間の方を応援する。

だけど、努力する才能も運によって授かるものだったら、救いが無いよな。

あっ、お気になさらず。話の着地点を見失っていますけど、いつものことですから。

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「クズとブスとゲス」 2015年 日本 監督 奥田庸介

とても目を引くジャケットで、タイトルもこれだけストレートにダメの三拍子を並べられると、何やら既にして不穏。

見る前からどぎつい物語に、不快な映像を想像してしまう。

内容はしかし、その想像の上をいく不快さと、それでいて遣る瀬無い袋小路を生きる登場人物たちに同情、憐憫なども感じ、最後には、全然そうじゃないのに何故かちょっとハッピーエンドに感じたりもした。

作中の暴力描写で飛び散る血は、全部本物らしい。

いや、そこは偽物でいいやろ。本物が見たかったら、格闘技見るわ。

如何に偽物を本物に見せるかが作り手の技倆だろう。

そもそも物語自体が作り物、芝居って行為自体が作り物、自分と違う人間になってカメラの前で決められたセリフを言うなんて行為は明らかな作り物。

その中で暴力だけが本当。ってそこがやけに話題になること自体がおかしい。

そこも作り物でいい。本当の暴力なんて見たくない。そんなところにリアリティはいらない。と思ったりして。

でも、凄まじい熱量を感じる作品で、映画なんざ単なる娯楽。と片付けられない力を感じる。

タイトルのクズとゲスとブス、これあいつ一人のことじゃないか?と感じたのはおかしな感想か。

不一。