こんなはずじゃ。
人生には上り坂下り坂があって、それとは別に「まさか」という坂があります。とか、勤続年数が長いだけで、何となく人の上司になってしまったおやじが、部下の結婚式のスピーチで言ってしまいそうな、陳腐で使い古された文言が頭をよぎる。
人生において僕は上り坂を感じたことはないし、下り坂もいまいち明確に自覚したことはないけど、まさかははっきりと覚えている。良いまさかも悪いまさかも。
こんなはずじゃなかった。
まさかの時そう思うけど、こんなはずだったことが、少しでも人生にあるだろうか。
今の自分を鑑みて、計画通り、予想の範疇なんてことは一つもない。
全部が予想外、想定外、空想だにしない想像の埒外。
感謝に堪えないことから、恨みに思うことまで、そのどれもが、まさかのもたらした産物。
自分なんて、こんなはずじゃなかったの結晶体だ。
良いにつけ、悪いにつけ。
考えれば考えるほど、こんなはずじゃなかった感はいや増し、こんなはずじゃなかったといろいろなことにこんなはずじゃなかったが付着する。
今書いているこれも、こんなはずじゃなかった。こんなことを書こうと思ったんじゃないのだけど、結果はこうだから、こんなはずじゃなかったと思うしかない。
こんなはずじゃなかったけど、こんなんでいい。
人は一人では生きていけないし、環境は目まぐるしく変わる。変わっていないようで景色は変わる。
こんなはずじゃなかったと一度も思わないで生きている人間など、心が盲目か、世界を滅ぼす異能者だ。とは極論か。
こんなはずじゃなくていいんだと思う。
そして、こんなはずじゃなかったと、言いすぎていると思う。
こんなはず・・・また言いかけた。
昔に一度賞を取っただけの小説家で、実際は小説で食べられないから、取材と嘯き、興信所に勤める主人公。稼いだ金はギャンブルに浪費して、母や姉に何かと理由をつけては金を無心する。
そんな主人公に見切りをつけて、離婚し息子を連れて家を出た元嫁。
主人公は息子が可愛くて仕方ない、元嫁にも未練タラタラ。
元嫁は、養育費を条件に月に一度息子に会うことを許可している。
こんな状況でも、主人公は生き方を変えられない。
まだ今のままでも元鞘に納まる可能性があると、ダメなライフスタイルを改めない。
アホじゃ。
そんな主人公が亡父、母親、息子、周りの人たちの想いに少しづつ気づき、やれるかどうかはまた別の物語なのだろうけど、ようやく自立に向かい合った雰囲気のところまでの話。
ラスト近くで、元嫁がもらした、「こんなはずじゃなかった」というセリフが印象的。
使いどころひとつで、これだけ言葉は重さを変えるのだな。
そんなことを
思ったり。
不一。