おくりもの・・。

君が過去を忘れても過去は君を忘れない。・・・か。

因果応報というやつだ。この言葉を聞いて「怖っ」と思う僕はやはりロクな生き方はしてこなかったということだろう。

「全て忘れるの!全て忘れて今を生きるの!」なんて健気なヒロインなんかが言いそうなセリフに、思い切り水差す「過去は君を忘れない」。

善いことをしてきた自負のある人ならば、いつか報われる過去の善行を思い、未来を楽しみに「因果応報?マジ?ラッキー、早めにお願い。」とか思うのだろうけど、過去に全く善行を積み上げて来なかった僕からすれば、因果応報はできるだけ先伸ばしにして欲しい。しかし、早めに一度清算できるならしておいた方が、過去の全てが一度に返ってくるよりマシな気もする。

僕は過去を気にしないというか、覚えてられないから、過去の方が僕を忘れないとなると、バチが当たったとき、心当たりの無さに戸惑うのだろう。その身に覚えの無さに。

天網恢恢疎にして漏らさず。などという言葉があるけど、これとて人間の考えた言葉で、そうであればいいな、くらいの理想を語ったんじゃないかなんて、大人になって、あまりに悪事がまかり通っている社会を見て思う。

そういう現状を見るにつけ、ひょっとして自分のこれまでの悪事も死ぬまで返ってくることなく行けるんじゃないかなんて錯覚を起こすけど、多分、キチンと返ってくる。あるいは返ってきて今ここにいるのかもしれない。してきたことに自覚も記憶もないのだから、ハッキリとは分からないし、善悪の区別というのは、人間が統一の見解を持てるほど単純でもないのだろうから、個人の物差しで測った善悪が、そのまま天網の善悪とはならないことは想像に難くない。

要するに分からない。因果応報というのも、善行悪行、それも分からない。自分が善の方向に向いていると思っているその向きが間違っている可能性もある。

昨日握りつぶした蚊の一匹。あの命と、僕の命、同じひとつ。

因果応報が等価交換なら、昨日の行動が命取り。そんな可能性も・・・って病むわ。こんなこと考えてたら病む。

全てを因果応報ととらえて、起こる全て、出た結果全部、甘んじて受けて生きていくしかないのだろう。明日非業の死を遂げても文句は言わない。いくら馬鹿でも、やってきたことの下劣さは覚えているから。・・・・おや?誰か来たみたいだ。

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新しく引っ越した土地で、同級生と再会。

こちらに覚えはないが、相手は自分のことをよく知っているらしい。

引越し祝いにワインが届く。

それを皮切りに、次々贈り物が。

徐々に明らかになる過去。

怖っ。

分かりやすく因果応報。

それ自体がそれ全体がギフト。

いつか僕にも届くのだろうか。数年前に割りとデカ目のやつを貰った気もするけど。

そんなことを。

不一。