進化ねぇ。

いつか教科書か何かで見た、人間が進化する過程の絵。

チンパンジーみたいのから、体毛が薄くなり背の丸さも徐々に伸び、今の背筋の伸びた人間の姿になるまでを描いたあれ。

あれからもう人間は進化しないのだろうか。今もまだ過程で、ゆくゆくは進化するのだろうか。どちらにしろ、僕が生きているあと数十年でどうこうということはなさそうだ。

突然変異的に進化を遂げたら、それは、最初奇形と判じられるのだろうか。

例えば手が四本。こんな人間が生まれてきてボクシングでも始めたら、ロマチェンコでも勝てない。

でもそれは感動を呼ばない。条件が違うから。

同じ条件で、あくまでも同じものを持ち合わせた人間同士が、努力研鑽を重ねて向き合うから、観る人を魅了する。

しかし、それは公平な条件ルールの下、記録や勝敗を争う、競技全般においてであって、それが例えば芸術や音楽の分野だったりしたらどうだろう。指が異常に長くて二三本多く生えている。そんな人間がピアノやギターを弾いたりしたら、素直に感動しそうな気もする。

しかし、進化進化というけれど、旧人類に今の人類が優っているところってどこなんだろう。フィジカルはサルの方が優れていそうだ。頭の良さ、これはさすがに今の人類に軍配が上がるだろうけど、幸福度や心根の美しさなどはどうだろう。

変わったのは見た目と生活環境だけで、意外と同じような屈託と鬱屈と後悔、歓喜、羨望、マンネリ、アンニュイ、人生に抱く感情にそれほど差はなかったりして。

よく、賢い感じのインテリを描くとき、感情のない無表情な人間がモデルに選ばれるケースが多いけど、あれ、逆じゃないか、賢い奴ほど、いろんなことに気が付くし、それを大きく捉え、また逆に細部にわたり理解できるはずだから、感情は豊かなのだと思う。

それを表に出すか出さないかで、出さない方が賢いとされるのかな。


感情から行動までの距離が短い人はアホだと思われる。実際結果でアホを証明していたりする。

感情的なのはいいことだと思う。そこにワンクッション、考察の時間、内省の時間。

それだけの違いじゃないのか。サルと人間。

年々感情が先走った行動が増えて、何か、あの進化の図の逆を歩いて行ってる気がする。最近バナナが好きだし。

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モーガン」 2016年 アメリカ 監督 ルーク・スコット

人工生命体を研究している人たちが、最初に作ったやつは感情に乏しいから、人間ぽくない。ちょっと感情を植え付けて、もっと人間ぽくしたろ。って造った生命体が感情があるがゆえに不安定。暴走を始める。みたいな話。

・・やった気がする。というのは、結構前に観たから。

やっぱり観てすぐに残さないと、そのときに考えたこともかなりニュアンスを変える。

備忘録に記すことを忘れるとはこれ如何に。

不一。