越えられるなら越えるべき。

何もしないでいるとあまりに長く、何かを成し遂げるにはあまりに短い。
みたいな言い回しで人生を表現した人がいて、この言葉を何かで目にしたとき、確かにそうだなと思った記憶がある。

が、どうもそうでもないかもな。などとここ最近の不毛な多忙に思う。

兎に角忙しい。そしてその忙しさの中で、何かを成し遂げている感が全くない。

無闇に消耗している感じがある。思惑通りに時間が取れぬジレンマにストレスフルな毎日を過ごしていると、何だかいろんなことがどうでもいいと思えたりして、いい年して自棄はみっともないと自戒するものの、忙しさの暴風は止むことを知らず、ここにこうして駄文を綴る時間も年が明けてようやく今。

と言えば、なんとも不幸な状況にあるのだと解する人もあるだろうけど、そうでもなく幸せなことも先には控えていて、そのことはいま唯一心の支えではあるけれど、それとて、以前の失敗が脳裏に深く残っている影響か、不安がやや立ち優っているような気がする。

何もかもがよく味わう間もなく、次から次に新しい物が目の前に置かれて、全部味わって食べたいのだけど、それをさせてもらえなくて、勿体無い食べ残しが視界の隅に後悔の山。

いつかいつかは今日になる。痛感。

いくつになったら出来るんだろう。後悔のない一日を過ごすこと。

と言いつつ、総じて考えるに自分の人生に後悔はないのだけれど。

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「オーバーフェンス」  2016年 日本 監督 山下敦弘

過去に傷を持つ男と女。

共に世捨て人的な、人生に希望を持てない日々を生きていた。

そんな二人が出会って、激しくぶつかりながら生まれたエネルギーはいつしかフェンスを越える。

あのラストはハッピーエンドと言っていいのかな。

彼ら二人が共に生きていく覚悟は見えたけど、それがそのまま幸せかどうかは、二人の人格を鑑みるに、危うい気もする。

しかし、世の中普通普通と言いながら、本当に普通の人生を生きている人などほとんどいない。というか、あったことない。本当に普通の人。

ということは、僕にとって本当に普通の人なんてのは異常で、普通ではない人が普通。

何も問題を抱えてない人なんてこの世にいない。そして問題の種類はそれこそ人の数だけ。聞けばどれも大変。でもそれが普通。

なんだか訳が分からないけど、何が言いたいかというと、

恐らく日本一遅いだろうけど、今更なんだろうけど、

あけましておめでとう。

嗚呼、何だか不義理な一年の始まりだな。

不一。