止めて欲しいけど止まらないよな。

人は他人の前で、その人に合わせた自分を演じているに過ぎず、本来的な自分をさらしてしまえば、その人の中に自分の思い描いている自分以外の自分が形成されてしまうから、その人から見える部分だけは嘘をついても取り繕ってでも、自分の思い描くその相手に対しての自分を保とうとする。不自然だけど、人間としては自然なことなのかもなていうか、欲望に対しては自然な振る舞いなのかもな。

不倫している夫は、妻の前で何もないような顔をするだろうし、学校の先生は、生徒の前では、自慰行為などしたことないみたいな顔するだろうし、地元で恐れられているヤンキーが少女漫画好きだったら、隠れて読むんだろうし、いわば人の目というカメラの前では皆が皆何かを演じているってことで、そんなものが積み重なるから、本当の自分なんて言葉が、演じることに疲れた時にパワーワードとして心に大きな比重を持って居座ってしまったりするんだよ。しかしまぁ他人の前でいいカッコしたいってのも、自分で、他人が自分に対して間違った認識を持ってしまっても、そう思わせたのも自分、みたいな側面もあるよね、っていうか、それも含めて自分だよね。なんて、ここまで何回自分って使ったんだろう。

人の目ってカメラは止まらないから、人は人の前で演じることをやめられず、あまり人と会うのが好きでないって人は、演じることが苦手な人で、人と会わないと落ち着かないって人は、演じていないと自分と向き合わざるを得ず疲れるなんてこともあるのかな、ないのかな、なんてことを正月早々考えた、わけでもない。ずっと頭のどこかにあったことを、今このタイミングで言語化しただけだ。

だってお正月は例のごとく働いていたから。働かないと、皆の前で演じている自分も、本当の自分も守れないから。と言いつつ、どっちもどうでもいい、って気分も多分にあるのは、どの自分だよ。

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カメラを止めるな!」   2017年 日本 監督 上田慎一郎

昨年何かと話題になった作品ですね。

見える部分の裏側にはこんな苦労が。

ってシナリオの妙が楽しい作品。


去年は何かと忙しく、知らぬ間に一年経ったのだけど、
今年もどうもそんな感じに過ぎるんじゃないかと慄然としているけど、
周りからはそう見えないように演じないと。
だって時間が無いが口癖の人間は信用するな。とか言うじゃないですか。言わない?

不一。