できれば善くありたい。

ルール違反、不正、悪事などというのは、力が足らない、または余裕がないから起こしてしまうのであって、力が足りていればこれらの行為に及ぶ必要はない。

例えば、飢えている兄弟に何かを食べさせたい、でもお金がない、だから盗みを働く。気持ちは凄く分かるけど、悪事には違いない。

彼にお金があれば、あるいは稼ぐ方途があれば、そう力があれば悪事に走らなくても済んだかもしれない。

ボクシングの試合で、相手が強すぎて、もう判定ではボロ負けのタイトルマッチ終盤。セコンドについている兄貴とオヤジがローブローの支持を出す。本人も負けている自覚があるから、実行に移す。

彼が精神的にも技術的にももう少し成熟していれば、負けるにしてもルール違反など起こさず正々堂々と出来たかもしれない。

たまに悪事を自慢たらしく話して、俺ってワイルドだろう?ヤンチャだろう?みたいな人がいるけど、己の狭小さ、力の足らなさを自慢しているだけで、バカにしか見えなかったりする。

不正に権力を行使して利益を得て、そうして肥えた私腹を傲慢にさらしているアホな政治家や社長なんかがたまにいるけど、まともにやれる能力があれば、彼らもそんな不正になんど手を染めなくてもいいのだろう。

欲しい物と持っている力が釣り合わないと、その隙間に悪が滑り込む余地が生まれる。

欲しい物と能力がいつでも均衡を保てれば、人はそうそう悪事になんど走らないんじゃないか。

望み高く力足らざるゆえに人は。

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「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」  2015年 イタリア 監督 ガブリエーレ・マイネッティ 


人生くすぶり倒しているオヤジが、ある日コソ泥を働いて、警察に追われている。

追い詰められたオヤジ、海に飛び込む。その海には何やら化学物質だか、汚染物質だかが流出していたのか、オヤジの身体に変化が起こる。

力が物凄く強くなり、身体の耐久力、身体能力なども飛躍的に上昇する。

が、見た目は相変わらずオヤジ。

これまでコソ泥で生計を立ててきたくすぶりオヤジが、圧倒的な力を手に入れた。

力があれば、善の方向に向かう悪人って結構いるのかもな。

力がないために悪事で生きていくしかない人っていうのも、結構いるのかもな。

なんてことを。

これを観て。

不一。