賢い

学生時代の知り合いで、今はもう全く会わない人のうち、現在どうしているか気になる人はいるかと問われれば、賢かった人より頭の方がちょっとアレだった人ばかりが脳裏に浮かぶ。

賢い人は、賢いのだから現在も賢く生きているだろうと思うが、アレだった人はどうしているだろう、あのままで生きていけているのだろうか、生きているとしたらどんな人生を送っているだろう。

所謂賢さとは、常識を理解し、その範囲内で行われる社会活動で高水準の活躍をし、お金を稼いで、綺麗な奥さん、出来た子供、大きな家に小さな犬、イカした車に、海外旅行、およそ世にある幸福をたくさん手に入れられる。社会という全員参加型のゲームがすごく上手い人。

それは人生を愛しやすいだろう。誰もが良いと思うものに囲まれているのだから。

逆に阿呆であると、常識が理解できず、刹那の享楽に簡単に流され、社会のなかで落ちこぼれ、普通に生きていれば手に入れられるものも手に入れられず、自分の身ひとつさえ持て余す木偶に成り下がったりする。ゲームの下手くそな人。

とはいえ、これはあくまでも社会というゲームの中での人間が考える価値判断で、人間としての阿呆、賢いとは違う気もする。

仮に他人から見て、愛せるものを何一つ持たないのに、人生を肯定し、幸福を感謝する人がいたらどうだろう。

愛しやすいものに囲まれた人が、当たり前に感じる幸福や感謝より、すごくないだろうかな。

社会の中では、何も持たないのに、人がただ一つ欲して已まない幸福を手に入れている人がいれば、その人こそ本当の賢人じゃなかろうか。

一見して乏しく寂しい生活を送っているように見える人が、とても幸せそうに、エネルギッシュに生きていたりすると、持っている人に対するより大きな嫉妬を感じる。

「社会」よりひとつ大きなくくり、「人間」として見るならば、どちらが賢いのか。

過去に阿呆と断じた人のなかに本物がいたかもしれないな。そう考えると、どうしても今どうしているか気になるのは、阿呆に見えた彼らなんだ。そういえば、その当時から賢いとされてる奴らより随分楽しそうに生きていたよな。

などと。

 

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「佐々木インマイマイン」2020年 日本

監督 内山岳

劣悪な家庭環境で生きる佐々木。

それでも明るさを失わず恨み言ひとつ言わず生きる佐々木。

そんな佐々木に励まされ導かれ、その存在に思い出に突き動かされる主人公。

映画であるのに、劇的なことが起こらない佐々木の人生がリアルで切ない。

佐々木は賢いと思う。