数字じゃねんだよ。

数値化できることなど、実はほんの一部で、人間の持つほとんど特に感情、感覚は数値化できない。

誰かがいい加減に言った基準を何となく指標に、自分も本来数値化できないものに点数を付けたりするけど、そんなものは、何の支えもないヘナヘナの価値観で、時と場合によって簡単に変わる。

むっ、これは美味い。4.0!なんて食べログに倣った点数を付けてみても、そのときは思い切り腹が減っていただけで、次に食べると、そんなに美味くもなく、3.0なんてこともあるだろう。

この人は運命の人!100点!と思い込んでも、もっと条件のいい異性が目の前に現れれば、疑う余地なく満点だったものが、足元から崩れていく、そしてグラグラの価値観で迷っているうちにどちらとも縁が無くなるなんて、知り合いもいた。

快不快も数値化できるものではなく、人により気持ちいいことは違うし、楽しいことも違う。腹の立つことも違えば、悲しいことも違う。自分の点数がそのまま相手と共有できる点数になることはほぼない。

だからなのかなんなのか、数字に換算できる価値に人は群がりがちだけど、同じ数字を得ても得られる充足度、幸福度は人によりまた違う。

自分が手に入れている数字。一見明確なこれらが自分に与える気持ちは、数字なりの満足だろうか、不満だろうか。

他人との価値観のすり合わせに便利な数字。同じ数字を俎上に話をしても、実際の価値観は同じになることはない。数字のその先は、感性の領域。

人の気持ちや感覚が、数値化出来れば世の中いろいろ簡単になるんだろうけど、それはそれで味気ないだろうな。

量れないから、面白い。

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「1001グラム ハカリしれない愛のこと」 2014年 ノルウェー 監督 ベント・ハーメル

キログラム原器とかいう、重さの基準を決めている分銅みたいなものがあって、これは全ての重さの基準になるものだから、厳重に扱われている。少しでも質量が変われば、重さの基準が曖昧になる。狂ってしまう。

みたいな繊細な物を扱う仕事に就いているヒロイン。

一グラムの狂い無く、進めていく仕事に比して、私生活は離婚危機、父親の死、車の事故、と様々に狂いが生じる。

測り知れんな人生。つっらー、しんどーってなってるとこから、量り知れぬ人生の展開に恵まれええ感じ。みたいな話。

「腕時計が二つあると人は正確な時間が分からなくなる。」

「人生で一番の重荷は、背負うものがないこと。」

なんてセリフが印象的だった。

不一。