要る?要らない?

生きていると、欲しい物はそれはもう毎日十指に余るくらいあるのだけど、それと同じくらい捨てたい物もたくさんある。居住する空間、心の容積、頭の容量、個人差はあれ、誰にもこれらには定量があって、生きていると厭でも付随してくるあれやこれやがどんどん溜まってくる。

これまでの人生の経験上、これは要るだろうと思うもの、要らないだろうと思うものが分かっても良さそうなものだけど、生きれば生きるほど、どれが必要で不必要か分からなくなる。

それひとつを捨てるだけで大きく展開が変わるのになぁ。あのときあれを捨てていれば、今こんなことになってなかったのかなぁ。逆に、あの時あれを捨てずにいれば今頃は・・。なんてことをたくさん経験してきたから、もう何がなんだか。

自分の中の嫌いなところ、そこを言い訳に依存して、それに甘える。なんてことも弱さゆえにしたりする。捨てたいと口では言いながら、手放さないのは自分だったりする。そのダメな部分が、自分に一番喜びを与えてくれるところだったりする人も皮肉にもいる。

酒が好きだが、上手く酔えなくて、至らぬ行為に及ぶ者。
女好きはいいとして、その対象が未成年である者。これら二つともに持ってしまったがゆえに、メンバーから元メンバーになってしまった者。


己の快楽と、社会的規範の折り合いが上手くつけられないと、社会というコミュニティから弾かれる。

しかし、集団からはじかれても、呼吸を続ける以上は人間とみなされ、税金などの制度はついてまわる。

生きるのが辛くなる。ああ、あの時あの性癖さえ捨てられていたらなぁ。としかし思うのは簡単で、性癖などそう簡単に捨てられるものではない。何か大きな力が働かないと、自分の快楽にも繋がるそれを捨てられない。

あからさまにグロテスクな物を愛玩する様は、見る者をゲンナリさせるけど、誰にもあると思うのだ。捨てたい、あるいは捨てたくないけど、捨てた方がいいんだろうな、と頭では分かっている物。

無論僕にもたくさんある。直視するのも嫌なくらいにたくさん。大小様々なそれらが、視界の隅にいつでも。

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無人島で死を決意し、首をくくろうとしていた青年。死のうと輪に首を通したそのとき、浜に漂着した死体を見つける。

これが高性能な機能をたくさん有した不思議死体で、死体の機能を生かし、無人島からの脱出を試みる。というトンデモストーリー。

コメディかと思いきや、観る人によって様々にいかようにも観れそうな深さを感じる作品。

と、ここで話題は転じて、今月の話。

今月後半に5連休を取るために、前半から今まで、ほぼ休みなく働いている。
今の会社に入って5連休など、初めてのことだ。その5連休で何をするのか?
2月に結婚してから新婚旅行に連れて行ってあげれてないので、それだろう?と常識のある人は考えるし、僕の周りの常識人はそう考えているだろう。
けど、これが違って、前半二日で宮崎に、納骨後行けていない祖母の墓参り。次の二日は東京へ井上尚弥の三階級制覇を目撃しに行く。そして最終日は有り得ないくらい脱力して、休みの中の休みといった休みを過ごす。
といった休みまで、夜勤あと4日。

これまた話は変わるけど、明日の田口、京口のダブルタイトルマッチ、テレビ放送無いのかよ。ふざけんなよ。京口なんて、家から歩いて行ける焼肉屋にサインがある、まごう事なき関西の子なのに。どういうことだよTBS。

不一。